<自分>との出会い

鏡像段階」とは、フランスの精神分析ジャック・ラカンによる、幼児の発達段階の一時期をさす言葉だ。
ヒトは他者の保護に全依存せざるを得ない未熟な状態で生まれる(生理的早産)。 24時間他者の世話を必要とし、「子宮外胎児」と呼ばれる母子不分離の状態で約1年を過ごす。 新生児は、神経系が未発達で身体を統合することができない。 手も足も頭もバラバラで、身体のイメージがなく、勝手に動く手足を自分のものだと認識していない。 そもそも「自分」という意識もないから、保護をしてくれる母親が世界の全てで、世界と自分との区別がない。

しかし、生後6ヶ月から1歳半頃になると、鏡に映る像を通して、バラバラに「分断された身体」を統合する。 赤ん坊が鏡に興味を示した時に、母親が鏡に映る像を指差し、「これがお前だよ」と教えることで、赤ん坊はそれが「自分自身」であることを知る。 ただし、鏡に映る像は、左右反転した偽物だ。偽物の鏡像を本物の自分と錯覚することで、はじめて「自分」を獲得する。 「自分」を知った赤ん坊は、母と自分は異なる存在であることをぼんやりと認識する。この時期を「鏡像段階」と呼ぶ。

この時期を経て、赤ん坊は言葉を獲得する。 「おかあさん」は「わたし」と別の存在であることを知り、 「おとうさん」と「おかあさん」は、別の存在であることを知る。 言葉によって世界は分節化され認知される。 そして、鏡と同じように、言葉も実体を持たない。 例えば、日本語では「蝶」と「蛾」を区別するが、フランス語の「パピヨン」は、「蝶」だけでなく、「蛾」のことも意味する。 蝶と蛾に生物学的な違いはない。 それなのに、日本語を使う人々の間では、「蝶」と「蛾」を区別して見ている。 対して、フランス語を使う人々の間では、「蝶」と「蛾」を同じものと見ている。 言葉は、人間の外界に存在するはずの実体に根拠を持たない幻想に過ぎないのだ。 その幻想を自分の内部に取り込むことが、言葉を学ぶということだ。

鏡との出会いと言葉の獲得によって、赤ん坊は世界(=母親)から完全に切り離される。